火・水・石・風・木と家づくり


同じ職業の父親が買い揃えてくれたダンボール箱一杯のレゴや積み木に囲まれてはいましたが、両親とも東京で帰省する田舎は無く、通勤時の人々の間を縫って、アスファルトの上でのローラースケートして遊んでいたのが原風景。

縁あって来た緑豊かで清流のあるこの地において、自分はボヘミアンなはず。しかしここに居場所を求めたいという強い衝動は、なんなのかがわかりません。有り体に言えば、遺伝子の記憶なのかも。早20年を超え、この場所無くしての生活は考えることができませんし、この場所での経験が、自らの設計の基盤となっていると思います。

南への開き方、裏になりがちな北の意味、土間と床座と椅子座、勾配の土地の魅力、吹抜の効能、薪ストーブ、空気集熱型ソーラー、床暖房、軒下のありがたさ、流れ行く水、風の流れ・・・。どんな土地になっても、例えば都会の狭小住宅であっても、そのエッセンスを取り込みながら設計に活かすことで、最大のポテンシャルが引き出せると信じています。



野外で囲む暖炉


留学中、オーストリアの田舎の友達の実家に遊びに行ったときのこと。トウモロコシ畑でヤングコーンを摘みながらの散歩から戻り、夏の夜風に吹かれて、外の暖炉にあたる。少し汗ばんだ衣服が乾いていき、ひんやりした空気と暖炉の輻射熱がとても心地よかった。


いつかはと想い続けて数十年。ようやく実現できました。しかしただの暖炉ではつまらない。予てより気になっていたピザ窯も二階建ての構造があることを知ります。そう!一階の暖炉の二階にピザ窯を載せてしまおう。暖炉を楽しむときは、同時にピザも楽しめる。世界初のピザ窯暖炉(たぶん)暖炉の火を上部のピザ窯に導き、ドーム状の天井に熱気を滞留させ、窯口直前で煙突に導く構造は教科書通り。500℃超えの輻射熱での調理の可能性を感じています。暖炉が燻る状態になっても200℃以上で数時間なので、1分2分の瞬間勝負と時間のかかる低温調理も可能だと思います。ピザでお腹いっぱいの余韻は、穏やかな火加減になっていくピザ窯での肴と酒とともに暖炉が引き継ぎます。外の暖炉は、夜風がヒンヤリしてきた頃から大活躍です。


石は、写真内にもある近くの石切場から調達。大谷石と同じ凝灰岩ですが深岩石といい、産出量も少なく地元以外では使われることは少ないようです。ただ、大谷石より固く密度があり耐久性に勝ります。


夕日と暖炉屋内の暖炉の場合は、壁を背にすることが多く、その向きは間取りに応じますが、屋外の場合は絶対東向きがいいと思います。あかあかと燃える炎の背景は夕焼け空。暮れゆく西の空と炎の明るさが逆転していくさまを楽しめます。




大谷石について


大谷石の採掘場所は別荘から近く、廻りには大谷石の蔵が散見されます。この地に縁ができる前までは、教科書的には、フランクロイドライトが帝国ホテルの素材として選んだこと(それも日本側からは大反対だった)、経験としては時々塀に使われたボロボロと脆い石といった印象くらいしか無かったのですが、この地にとって、大谷石がとても身近で、手に入りやすく、石職人も融通が効くことを知り、積極的に使おうと考えました。

地下の採掘場の空間も圧巻で何度も訪れています。石にはミソと呼ばれる土の塊のようなものが散らばり、木の節とも相性がよく、自然素材の家の内外装にしっくりきます。その性能は、見栄えだけなく、調湿性、蓄熱性に優れ、例えば床に敷けば、素足でもヒンヤリとはせず、土足の場合は、土埃をミソが吸収してくれて、タイルや土間コンのようにジャリジャリすることもありません。

また冬には、お湯を床に撒いてしまえば、表面積の大きさが功を奏し、床面が強力な加湿器となりますし、空気中に蒸発する訳ですので、床面も程なく乾きます。また蓄熱性ですが、外の昼夜の温度変化に対して、緩慢に作用し、夏急激に気温が上昇しても、窓を開け放っていない限り、家の中は涼しいままです。梅雨時も外の湿気に対して、家の中がそのままジメッとするようなこともなく、やはり大谷石の表面積の大きさが、吸放湿性能に影響しているものと思われます。



灯の中心


家の中心、火の中心、灯の中心、食の中心。これが人の集いとなるように設計を心がけています。必ずしもnLDKが人の家での行いを受け止める正解ではないということかもしれません。囲炉裏はまさに火、食の中心。囲炉裏の上部には、イサムノグチの巨大な提灯をぶら下げていました。これで灯の中心となり、人の集いとなります。

囲炉裏を薪ストーブに改造するにあたり(囲炉裏の暖として火の問題点あり)、その中心に煙突が必要となります。煙突は上昇する煙の象徴と捉えたくて、安易に曲げることなく垂直に昇っていくべきと考えました。曲げることで屋根の工事が不要になったり、提灯がそのまま活かせたりとそれなりの利点はあるのですが、一方で、素直な上昇気流への妨げや、煙道のススの溜まり易さにも影響します。

煙突は火の中心と不可分。その煙突があったとしても灯の中心でありたいと、必然的にドーナツ型となり、提灯の作り方を応用して、提灯の上とし下を閉じて輪っかにしました。難しかった点は2点。重力に任せて端部で吊り下げる提灯と異なり、水平に吊ることと、電球のメンテ用にと提灯の脇腹に穴を開けなえればならなかったこと。ドーナツ形状を維持するため、提灯内部にアクリルのリングを挿入しなければならなかっとこと。施工には手間取りましたが、できてしまえば、ドーナツ型の提灯。煙突の垂直性を歪めず、灯の中心ができました。ドーナツの真ん中が抜けていることが、単なる意匠上の問題ではない必然があるというのがいいと思います。



薪ストーブの魅力


実家にストーブがあった若夫婦からの依頼で薪ストーブを初めて導入しました。その当時は薪ストーブの使用経験が無いまま設計しましたが、その火力と暖かさの質にぞっこんとなりました。あまり象徴的にならず、かつ大谷石の床の広がりを妨げないように、見慣れたドカッと居座る典型的な薪ストーブの姿とは対象的に、長さ450mmの薪が2〜3本入るだけのミニマムなサイズとし、アメリカのシェーカーのストーブを参考に、脚を細くしすっと浮いたような軽やかな存在感となりました。9mm厚の鋼板でのオーダーメードの薪ストーブです。

その経験を活かし、別荘の囲炉裏も薪ストーブへの改造を決断しました。炉端焼き屋のようにテーブル中心の囲炉裏は、燃える炭を見ながら囲むシーンそのものは美しいのですが、テーブルにしてしまったため、顔だけ熱く、机下の脚が寒い。伝統的に囲炉裏は床に切ってるのも、床座であれば、脚→顔の順番の距離となり、まさに頭寒足熱です。もともと大谷石で囲む囲炉裏であったため、そのまま囲炉裏の灰を薪ストーブに置き換えれば、大谷石が蓄熱し、脚も温かくなると踏みました。導入してから2年。薪ストーブに火があれさえすれば、常に天板はクックトップ状態で、お湯は沸いているし、加湿もできるし、家の中心から温まります。そして何よりもどんなに燃やそうとも、決して空気が汚れないこと。しかも排気しているので、換気装置でもあります。

裏山が杉林で、もっぱら伐採され放置された丸太を引き出して薪を作っていましたが、一昨年に樫の巨木の伐採の依頼で、知り合いの木こりを紹介し、その幹と枝を大量に引き取ってきました。固くて重い樫を手で割る自信が無く、設計屋魂に火が付き、エンジニアに協力してもらって、オリジナルな薪割り機を設計し制作しました。おそらくこのパワーで丸太を地面に置いたまま割れる世界最小の薪割り機が完成。次の冬に向け乾燥中です。足の早い杉に比べどれだけ火持ちがいいか楽しみです。



食でつながる


大学で授業終了後に学生たちにパスタを時々振る舞います。ソースはその都度適宜作ります。いままでずいぶん作ってきました。25人前なので、5袋分のパスタを一度にアルデンテで振る舞う術を身に着けました!また冬には、豚を一頭丸焼きにして100名を超える人数で喰らう行事も毎年行っています。

同じ釜の飯を食う。

この言葉は、何も精神論的な意味だけではなくて、物理的にも同じモノが人体の中にあり、同じ影響を及ぼしているわけで、その実感をつくづく感じます。五感全てにおいて開いていたい。最近の研究では、鳩のような磁気の受容器官がヒトにもあるとのことで、第六感なのかもしれませんが・・・そのためには、芸術に食は欠かせないと思っています。もはや食は芸術の一分野。つまり食する空間をもって完結する。

豚の丸焼きは、大谷石で豚一頭分入る約畳一畳ほどの大きさの窯を作り、ひたすら10時間、火を絶やさず100℃前後を維持します。肉内温度を60℃を超えないようにするいわゆる低温調理の方法ですが、15cmの厚みのある大谷石に蓄えられた熱が、野外の寒さの中で巨大なカイロとなって、身体を温めてくれます。食と暖かさの中心となっています。またタンパク質の細胞が破壊されない、そのジューシーさは、塊での低温調理でしか味わえない醍醐味です。食と暖は、薪ストーブを介してここに繋がります。


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